*** 2004年7月11日(日)〜7日目、神様は昼寝中 ***

 4日間のベンチタイムを挟み、後半戦のスタートである。午前6時40分、家を出た。羽田空港のパン屋で腹ごしらえをし、飛行機に乗り込む。目指すは前半戦の終了地点である伊丹空港。

 空港では面白い体験をした。飛行機の渋滞である。飛行機は乗客が全員そろわなかった場合、ぎりぎりまでフライトを待つ。それが重なったのだろう、先発機がまだ数機離陸しておらず、滑走路の手前に積もっていた。
 おかげで、空港の飛行機付近でうろうろしている、マトリックスに出てきた敵のイカっぽい機械みたいな胴体の長い車や、周辺でちょこちょこ走り回っている作業着の人たちを、じっくり観察できた。よくよく見ると、彼らは離陸する飛行機それぞれに向かって「行ってらっしゃ〜い」と手を振ってくれていたのだ! かわいいやつらだ(無礼者)。

神戸海洋博物館 伊丹空港から空港バスで三ノ宮へ行き、例によって駅コインロッカーに荷物を押し込む。
 神戸に来るのは初めてではない。それも、今年すでに一度来ている。
 それでもあえて神戸に一日を割いた理由、それはメリケンパークにある神戸海洋博物館を訪れるためである。メリケンパーク付近に神戸空港ができるとのことで、この博物館は閉鎖されることが決まっている。

サンタ・マリア号復元帆船  神戸海洋博物館の前に立ったとき、そういえばこの近くにコロンブスゆかりのサンタマリア号復元帆船が野外展示されていたことを思い出した。探してみたところ、工事中っぽい囲いがして近寄れなくなっていた。まさかこれまで取っ払われるというのか。おのれ神戸空港!

 ……後で知ったことだが、改修工事中の失火で三カ月ほど前に船体の約4分の1が焼失していたのだそうだ。別に取っ払われるというわけではないらしい。ちなみに、修復が終了したのは何とこの写真を撮ってからわずか5日後のことだった……。

神戸海洋博物館のレリーフ  気を取り直して博物館へ。エントランスで船の発達史レリーフに出迎えられる。
 この先は撮影禁止になっている。誰が何と言おうと撮ると宣言してきたにもかかわらず、やっぱりできないチキンなわたし。一応学芸員の資格を持つ身ですもの、やはり展示品は大切にしないとね。などと心の中で言い訳をしてみる。
 博物館の展示内容は、東京の船の科学館と類似したものもあったが、神戸という立地上やはり港関係と阪神・淡路大震災に関する展示が多かった。

神戸タワー  海洋博物館に隣接するタワーに上って神戸一円を展望した後、中華街のある南京町へと向かった。
 以前ここへ来たときにはにぎやかな連れの面々がいたのだが、ひとりで来るとけっこう寂しいものだ。これといってすることもないので、中央広場のストリート・ミュージシャンの調べに耳を傾けながら、豚まんで有名な店の長蛇の列に加わった。豚まんを食べてから駅に戻り、大阪へと向かう。

 後半戦の最初のホテルは、いきなりゴージャスなホテル日航大阪。しかも今度は二泊である。あまりに気後れして部屋の隅っこに縮こまっていたい気分だ。
 ところで、この旅は前半戦の行きが羽田〜出雲、帰りは伊丹〜羽田、後半戦の行きが羽田〜伊丹、帰りは岡山〜羽田の予定で、すべて飛行機を使用する。しかも前半戦に一回、そして後半戦では何と三回もホテル日航に宿泊する。ヤガメ金持ち疑惑が浮上する前に、あらかじめ申し上げておく。実は中国出張で飛ぶことの多い父の貯めたJALマイレージポイントを残らず横領したのである。これは特典航空券と交換でき、またクーポン券にするとJAL直営ホテルの支払いに使える。でなければ特急に乗るお金さえ惜しむビンボヤガメがこんなにリッチな旅をできようはずもないのである。

 さて、荷物をホテルに置いて大阪見物に出ようと思ったのだが、このときにわかに胃痛がわたしを襲った。豚まんがいけなかったのだろうか。いや、普通に一人前しか食べていないぞ。
 「神様ぁ〜」
 後半戦にも神様こと出雲大社のお守りをカーヴィングのイルカともども持参してきたわたしはそううめいたが、神様は反応なし。イルカまで無言でいる。東京でのベンチタイムの間、小さなバッグごと放置しておいたことを根に持っているのだろうか。
 ともあれ、仕方がないからベッドに横になっているうち夜になってしまったので、外出は諦めて寝た。

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